舞踏劇金色姫幻想
2006.11.25開催
あらすじ
1.プロローグ
昔々筑波の山の麓には豊浦という大きな入り江があった。ここには
今でも「船の宮」という船着き場の跡が奉られている。
 「金色姫」の伝説はここの入り江に流れ着いた天竺(インド)の姫に
由来する。
2.天竺
時は天皇二十一代雄略天皇の時代だろうか。はるか天竺インドに旧
仲国という国が建てられた。王の名はリンエ大王。国は栄華を誇った
が王の后が突然亡くなった。王は残された一人娘「金色姫」をたいそ
う可愛がっていた。
3.大王と魔女
じきに大王は新しい后を迎えた。后は美しい「金色姫」に嫉妬した。
金色姫の苦しみのはじまりだった。
后はリンエ大王を自分の思いのままにし、「金色姫」を殺そうと企てた
姫にはその苦しみの意味がわからなかった。
4.受難
后はリンエ王が平気です率いて国を離れた時。姫をトラの棲む山に捨てた。
トラの一撃の寸前、狩人が姫を救った。
后は怒りに狂い今度は姫をタカの棲む山に捨てた。姫が飢えて死にかけた時
、木こりが姫を助けた。
后はますます怒りに狂い姫を海に捨てた。姫はとうとう死にかけたが、たまた
ま通りかかった漁師の網にかかり助かった。姫にはこの苦しみの意味が
わからなかった。后はいよいよ正気を失い、姫を宮中の庭に生きたまま埋めた。
5.ヨミの世界
大王が戦いから戻ると姫の姿がないのに驚いた。大王は悲しみにくれ、后に詰め寄ったが
后は口を開こうとはしなかった。姫が生き埋めにされて7日目の夕暮れ、宮中の
庭に不思議な光が現れた。大王は驚き庭を掘らせると土の中から死にかけた
金色姫が現れた。大王は全てを悟り、悲しんだ。しかし、后を国から追い払うことが出来ず
かえって金色姫に船をやり、海に流した。船は桑の木で作られた。
船は沖に出て荒波にもまれ、流れ流れていった。
6.海に流れて
7.豊浦にて
金色姫が流れ流れてはるばる流れ着いたのは、常陸の国の筑波の山の麓にある大きな
入り江、豊浦であった。
豊浦の漁師、権太夫は金色姫を見つけ、不憫に思い屋敷に連れ帰り大切に養生させた。
姫は一時安息を得たが、ふと病の床につき7日目に死んだ。権太夫は姫の亡骸を唐びつ
に入れ、大切にした。7日目の夜、権太夫は夢の中で姫の言葉を聞いた。
「私に食べ物をください。あなたに恩返しをしたいのです。」
権太夫は次の日唐びつをあけると姫の亡骸は水に溶けたくさんの小さな虫になっていた。
権太夫はこの虫に桑の葉を与えた。姫の船が桑の木でできていたからである。虫は成長
したが、あるとき一様に頭をもたげてワナワナしている。権太夫は驚きこれはどうしたことか
と心配したが、その夜ふたたび夢に姫が現れて言った。「心配しないでください。私がインド
で受けた苦しみを思い出して堪えているのです。私は4つの止まりの後、繭をつくるでしょう。
8.変身
この言葉の通り、カイコは繭をつくった。権太夫はこの繭で財をなし、豊浦に館をたて金色
姫を大切に奉った。これが蚕影山神社である。
Hエピローグ
インド北部ではじまった養蚕は海のシルクロードを長い年月を経て日本に伝えられた。蛾の
幼虫がつくる絹糸はドラマチックな変身伝説とともに海を渡ってきたのだろう。それにしても
蚕の幼虫と美しい金色姫とは似ても似つかない。ただ、インドという遠い未知のの国には、
美しい金色姫が住んでいたであろう。人々の心の中には・・・。

その後、養蚕は富国強兵、殖産興業の時代、国を富ませ外貨獲得の手段となった。しかし今
養蚕は
その役目を終えたように静かに絶えようとしている。
筑波山麓に茂る桑の大木。刈り入れられることのない桑の葉が風に揺れている。

絹、シルク、命、金色姫、いのち

構成・文 柳瀬 敬 出典「蚕影山和讃」

(案内パンフレットより転載)