2007.3月 財団法人 総合科学研究機構機関誌CROSS寄稿

つくばの建造物遺産「石組倉庫」再生活用のとりくみ
石組倉庫の再生活用を考える会 つくば田園文化代表/根本健一 筑波大学大学院/釜床美也子

はじめに(石組倉庫とは)
 つくば市内の石組みの倉庫は多くが戦後復興の中で建てられたものです。当時、我が国の食料事情は予断を許さない状況にあり、穀物の安定供給のため、農林水産省そして食糧庁は各地の農業協同組合に対し、主食である「米」や、消費がのびていた「小麦」などを政府の管理のもとにおく、いわゆる「食料管理制度」下における政府指定倉庫にしたものです。モデルとして大臣官房設計部が基本設計して普及させたと聞きおよびます。そのためか今も各地に残る同様の倉庫はほぼ同じ仕様をみております。また、その優美な外観や重厚感から多業種にわたる一般の倉庫としても普及し各地に残ります。
 昭和も終わる頃には、米流通の自由化や低温貯蔵が一般となってきたことから、大型施設が新設されるととなり、これらの建物は当初の役割が終わりました。そうした状況から、今日的視点ではいわば農産業遺産とみることができます。壁構造材として採用されたのは栃木県産出の「大谷石」で、気泡を多く含む材質から年中室内温や湿度が一定に保て、かつ加工がしやすかったことから重宝されました。一部の倉庫は農家の人々自身の組み立て参加により建設されたと聞きおよびます。また、この石材はかの有名な建築家フランク・ロイド・ライトによって設計された「旧帝国ホテル」でも中心的に採用され、世界に紹介されました。

重厚な勇姿を見せる石組の倉庫
つくば市内石組倉庫の分布と現状
 平成16年まで市内(現茎崎地区は未調査)に同倉庫は17棟現存しました。建設当時は昭和30年の町村合併前の自治体で、ほぼ小学校区単位といえます。農協も同様にその単位で組織されたことから分布もそれに準じていました。事務系の機能に附帯する形で建設されたものと独立した敷地に建設されたものとがあり、昨今は多くが放置されているか消極的に“物置”として利用されている程度です。
 加えて、農業経済の低迷は農協にも押し寄せ、遊休資産の整理は至上命題となっています。そうした背景から一昨年5棟が解体となりました。今後も解体がスケジュール化されており、残すための機会は時間的余裕を失いつつあります。


 
平成15年筑波大学安藤研究室調

「神郡」倉庫の再生活用にむけて
 そうした中、残る倉庫の1つ、神郡倉庫について再生活用の機会を得ました。現地は秀峰として名高い筑波山の裾野にあり、日本の道100選の一つにも数えられる歴史街道「つくば道」沿いの町並みの一角にあります。また、銘柄米としても知られる筑波米生産地のただ中にあります。そこでは脈々とした生活の価値観が今に伝わり、それらは暮らしの佇まいとして見るものを和ませます。多くの農家が関係し今に伝わるその倉庫はある意味で人々のモニュメントとも見ることができます。
 当の筑波山は目下、TXの開業などを背景に山麓を中心ににぎわいをもたらしてますが、山すそのもつ地域資源(主に人文資源)は評価はされているものの必ずしも振興活用に至っていません。
 地域の農業史を伝える本倉庫の再生活用の方向として、人の営みと里の自然をネットワーク的に関連づけ、その中核として新たな文化観光の創出を目指すこと               を方針化しました。
 対象建物については取得以来、室内外の清掃、破損の修復、活用に不可欠なライフラインの引き込み等、環境整備に主に取り組んできましたが、一昨年度までに一定の基盤ができたことから、昨年度当初より具体的な活用方針、活用体制づくりに着手しました。重視したのは活用主体の性格です。現地は農村環境の色濃く留まるところで、地域の秩序は地縁関係が強く機能している土地柄です。そうした背景に鑑み、今後の活用にあたっても地元の有志の人々の参画が不可欠の要件と結論づけました。数回にわたる地元での懇談を通じ課題意識と期待像について予備を得ました。
 筑波大学建築系研究室の特別授業合流のもと、公開ディスカッションや、学生によるアイデアの発表会などを開催し、地域での話題性を喚起しました。そして秋にはそれらをベースに具体的な活用イメージを地区に提案、紹介する目的で複合イベントを開催。参加6団体、9企画で構成されたそのイベントには多くの地元関係者の協力や参加の姿がありました。一方、つくば道を通るハイカーの立ち寄りや市内外からの来場者も数あり、都市農村交流の場としてクローズアップが図られました。今後、そこに込められたソースの具体的なスキルを整のえ定期化、常設化に繋がることが目標とされます。また、そのイベントでは地場産業(瓦製造)との連携で実現したものもあり、その後新たな窯業工芸品やその体験プログラムの開発に向けた取り組みもスタートしました。


筑波山を正面に歴史の街並みが続く神郡
筑波とつくばそしてTSUKUBA
万葉以来の文化的、民俗的風土を今に留める「筑波」地区。現代都市工学の所産、研究学園地区を内在して発展をみる「つくば」。2つの極はつくばらしさを表出する上でかかせない大きな資源です。その両輪が互いに作用しあう中で“つくばスタイル”が構築されていくことでしょう。また、そのプロセスがグローバルな潮流にあるLOHAS(Lifestyles Of Health And Sustainability)な国際都市「TSUKUBA」として誇れる姿と考えます。(以上執筆担当、根本健一)

筑波大学との協働
 平成17年度、筑波大学芸術専門学群で「アート・デザインプロデュース演習」という新しい授業が設けられました。これは、学生がアートとデザインを融合させた手法で大学の内外の方と恊働してプロジェクトを行う実践型の授業で、学群・専門・分野を横断した学生が、自ら恊働のプログラムの企画、デザイン、運営までを行うのが特徴です。平成18年度はつくば道をフィールドとして修景デザインを試みました。その拠点となったのが神郡の石倉RIZで、石倉の再生・活用を、つくば道の修景という広い視野から捉えて学生はアイデアを出し合いました。夏に地域の方に向けて石倉で学生の修景アイデアの発表会を行い、その中の二つ、石倉で食によって地域振興を図る地元の筑波米をかまどで炊き出しするアイデアと、つくば道のまち並みを地域の人の手作り灯籠で照らすアイデアを実施することになりました。(写真1、2)。学生はデザインから運営まで地域の方と恊働で行い、その感想や地域に受け継がれてきた暮らしの知恵をヒアリングを通して冊子にまとめ、地域に発信する、という一連の活動を行いました。大学が開かれ学生が地域に入って活動することは、石倉を始め地域で普段生活していては気づかない新しい魅力の発見や、地域に残る知恵を引き出す一つのきっかけになったと感じています。

「田井の里の秋祭り」の開催
 石倉RIZの再生・活用を、地域の祭りの舞台として実現したのが「田井の里の秋祭り」です。これは平成18年11月23〜26日の四日間、田井にゆかりのある歴史資料の展示、講演、劇、ワークショップ、地域散策のプログラムや、地域の素材を活かしたカフェ・炊き出し、また農産物の直売などを行ったものです。(図1)。これは地域振興につながる多様な活動の視点を用意して可能性を探ると同時に、それをまず地域に問うという試みでした。プログラムの運営主体は、大学生、地元住民、新住民、小学校、田井地区を拠点に活動するNPO法人や専門家、地区外の団体と様々で、会合を重ねながら体制を整えていきました。その会合も重要な役割を果たし、ごはん炊き、灯籠、鶏汁、カフェなど、地域の恊働で運営するプログラムも生まれました。プログラムのフィールドも石倉、つくば道、田井地区全体と広がりをもったものになりました。今後は、徐々に主体を地域住民に移行して祭りが継続されることが望まれます。地域への祭りの認知度や運営上の細かな課題は勿論残りますが、初年度の成果として、地域の行事がなくなっていた場所で様々な恊働によって運営される祭りを実施したことにより参加者にソフト面での連帯感が生まれたのは大きい成果です。また、田井地区の農産物の豊かさや、かまど炊きをはじめとする暮らしの知恵、地場の瓦産業など、学生や地域外からの参加者の働きかけで地域の魅力を地域内外で再考する端緒を開いたことは大きな収穫でした。

これからの田井そしてこれからのつくばにむけて
 筑波には里山の暮らしのための古民家も多数残されており、里山と一帯になって文化的な景観を形成しています。平成17年のつくばエクスプレス開通を機縁に急速に都市化が進む中で、これまで営まれてきた筑波山麓や平地林に広がる里山の資源を活かした暮らしの持つ意味は大きくなってきています。田井地区もその一つであり、失われつつある里山やまち並みの保全・再評価は急務となっています。農業を営んできた田井地区において、石倉は地域を象徴する筑波米を貯蔵する倉庫として戦後その役目を担っていました。石倉は、建物の前に広がる広大な里山の恵みの象徴でもあります。この石倉の保存・再生の取組みを通して、里山の資源を活かした暮らしが地域の内外で再評価されることを期待しています。(以上執筆担当、釜床美也子)

  根本健一
1953年、つくば市生まれ
  ルーラルカンパニー吉瀬(里の自然村「ルーラル吉瀬」、つくば田園文化、他)代表
  (財)都市農村交流活性化機構公認コーディネーター
 

  釜床美也子
  1980年、徳島県名西郡生まれ
  筑波大学大学院人間総合科学研究科博士課程4年在籍