(つくば提言大賞応募論文)
つくばの田園振興と観光

はじめに
「つくば」の呼称は今日広く県南一円における総称化の様相をみせている。特に社会経済におけるこのブランドの優位性は多くの人々が暗に認めるところではないだろうか。
そのつくばも過去を振り返れば、昭和40年の頃の科学技術都市の筑波山麓決定の転機がまずあり、第2の発展段階として国民の認知をおし進めた昭和60年の科学博前後の頃といえるだろう。そして第3の発展段階として、科学博よりやはり20年目頃にあたる、つくばエキスプレス開通前後の頃と予想することは、妥当ではなかろうか。又、圏央道の一部開通なども前後することから、この段階では単に中央から外郭への文明の流れだけでなく、地方間交流の新たなビジョンのスタートともとれ、目下進められようとしている地方分権化の新たな流れとも整合するタイムリーな時代設定ともいえよう。加えて今回の転機が過去2回のそれと大きく違うのは世界的な大きな潮流となっている環境との調和。新世紀初頭における国際社会のコンセンサスとの整合が求められている点である。近代社会となって一貫して進められてきた先進化は、もはや手中のものとなり、追随から創造開発の使命と責任のものに我が国が置かれている。
そうした国際社会の中においても、日本的ビジョンをはたすものの一つに、国土計画のあり方が上げられよう。
近代社会になって100年を経た昭和末、政策主導で自立を果たした新都市の形成モデルを示したこのつくばの、今日的使命の中に「環境との共生」は避けられないテーマといえよう。
もう一つの地域資源
 そのような視座のもと、つくばの地域資源を見渡したとき、筑波山に代表される自然資源、加えて山麓、山裾に点在する文明の足跡ともいえる、古代、中世における東国文化の遺産をまず評価することとしたい。そして次に前述したここ四半世紀の間に開花した人文資源「筑波研究学園都市」。この2つは、つくばの理念の中でも既に定着している所である。私はここでもう一つの資源の高場を提唱するものである。市域のほとんどは有史以来の良質の農業地域であり、特に霞ヶ浦に代表される水資源との良好な関係がもたらした、水郷流域としての豊かな農村資源がそれである。
 新市街を形成する研究学園地区といえども、この良質な農村資源の中にあってこそ、将来に向かって(21世紀の社会規範に向かって)その先進性を維持、確保しうる。と言えるのではあるまいか。
 先の大戦後、新文化運動として高まりを見せた「田園都市」の理念をもう一度振り返り、生活環境、都市環境との整合を模索したとき、より明確なビジョンと定義が反映されるのを期待するものである。
 折しも、この「田園都市」が社会に紹介され来年で100年になるという。イギリスで起こったこの運動は、今日今なお都市経営の視点から高い評価を得続けているという。このつくばにあっても、それを記念した国際会議がつくば市の主体のもと開かれると聞き、関係者の皆さんの気概が伝わる。
 都市像の方針は既存資源と、効果的な政策的投資の方向で、一定の動きを誘引しうるとすれば、今こそ田園資源の精細な学際的考察が一層期待される。
 「かけがえのない」と言う言葉があるが、多くの田園資源はたゆまない住民の生活意識と活動の中で今日に推持、保全されてきたものである。庶民の一定の価値観が維持されてきたことによる人文資源であり、行政的視点から見えてくるものは一部と言わざるお得ない。様々な要素が複雑に交錯し合い、今日の田園像が横たわっている。そこではそこはかかとない情緒を醸し出しており、それらを作為で定義、体系づけるのは難解である。しかし観る者の多くを安堵的にしうるのは今にはじまったものではなく、今もって「ふるさと」のことばの響きは日本人のDNAの中に深く根をおろしている。
田園資源の再評価
 つくばの田園は過去、学術的調査も加えられ基礎的評価は得ているところである。今後は、その田園のシステム的な保全と活性を図る段階といえる。このシステムにおいて基本は農業であるのは言うまでもない。しかし、その農業が体力を低下させていることは周知である。高齢化や離農に歯止めがかからない今、単に生産活動の場としてのみならず、田園資源を原資とした、業態の横断的展開を考えるべきである。
 田園資源は大きくは農地、里山、民家そしてその団地である集落によって構成されている。これらの資源は自給的な生業を成立させる上で有機的に関係づけられ、それらが農の働きを通して、結果として良質な田園景観を維持する。たくみな生活の知恵の上にあるこれらの資源は基軸にある作物生産を補完する営みと共にあり、その「補完的進化」の論理をもって再構築しうるのではないか。現代農業は機械化、合理化が先行したため、資源利用の連携が崩壊した。今や里山はその農業において依存するものはなく、未利用地と化した。かつて農作業や自給のための手仕事に使われてきた農家住宅の付属舎も解体、消滅の傾向にあり、集落景観そのものが変質化を見ている。
また、この農業をささえてきた産業遺産も保存を待たずに消滅しているものも多い。特筆すべきは灌漑用風車がある。桜川流域に300基程が風になびいて水田に潤いを汲んでいたという。今日、自然エネルギーの再評価が進んでいるが、霞ヶ浦湖上の帆引き、流域の風車と、風が地域にもたらした恩恵は今もって顕彰にたりる。都市化の進むこのつくばにあって歴史的系譜を留める遺産は後世において益々重要な意味を持つものと認識される。近代以降の地域史を公共建造物の面から引き継ぐ象徴も殆ど消滅している。そうした中、地域の農産業を維持してきた農業協同組合組織は準公共的機関ともとれ、中でも「米」を中心とした農業構造の繁栄の足跡として各所に残る「石組倉庫」は今後、学園都市建設以前の地域史を語る遺産的価値が高まるものと確信される。
田園資源と観光
 海外に目を向けてみると西欧においても同様の傾向にあったものの、早くから田園がステータス性を持ち、バカンスの受け皿としての取り組みが進められてきた。今日では国民のバカンスの半分近くを農村が吸収する注1)という西欧においては、農村、農家の経営上の重要な部分に成長している。
 日本においても田園をバカンスの対象としてとらえる受け皿として民宿なども見られるが、制度的な整備指針も乏しく国際水準のものには至っていない。また、農村の社会構造上、質的に受け入れ難かった背景も否定できない。
 一方、農家が培った手仕事の領域のものを社会教育、都市農村交流、さらには伝統文化の伝承の主旨から各地に体験村が整備されている。これらの動きをトータルに概念化し、農村域の活性を目指そうとする「グリーンツーリズム」運動が日増しに活発化してきた。
 このように、田園の有形無形の資源を生産活動外に振り向ける着眼は、国土保全のプログラム化の上でも今後益々重要になるのではないか。また、その主役として農村、田園居住者はむろん、非居住者とのパートナーシップという今日の成熟社会にあってこそ両立しうる関係性を育てていくことがより重要ではないだろうか。これをなし得たところに人の移動と滞在が生まれ、ツーリズム文化がスタートす。  
つくばの観光の展望
 今日、わが国は豊潤の時代にある。日常と非日常のコントラストもより両極化し、食も極めて多様化をみている。食は提供の場、献立、素材、手段等々細分化には限りがない。重要なことは食の素材は総じて農山漁村が供給元であるということで、都市の工場の中ではない。しかし、デリバリー化が進んだ現代社会にあっては、素材は影となり、食品が食卓を賑わしている。ゆえに、素材の価値を商品化するところに、観光が重要なキーワードを果たすと考える。
 つくばの観光は、先にのべた大きな2つの地域資源により運営されている。筑波山にあっては万葉人のあこがれの嶺であった。刻々と変わる山の表情は生態の豊富さを予見させる。科学の目をもってしてもその多様さに驚くという。また、山腹に残る様々な歴史のドラマは今もって郷土人をうならせている。そしてもうひとつの捉え方に水の文化からのアプローチがある。一例を挙げれば、山麓は神郡の地に「蚕影山神社」がある。そこに継がれる「金色姫伝説」に深い感動をおぼえる。古代は天竺の王女が、美貌ゆえに不運に見舞われ、小船での流浪の末に筑波山麓に辿り着き、地元の漁師の手厚い情にふれ、その恩返しに「絹」づくりの示唆をうけたというものである。そこに広くは東洋の文化の源流との交感、接点が垣間見られ、いつの世も美しさの象徴として人を引き付けてやまない「シルク」へのあこがれ。そしてその文化の交流の導き役「水」。つくばが水のもたらした東西文化の終着地ともとれるこの物語の中にも水郷の情緒が浮かんでいる。
また、この戯曲的ともいえる物語は、つくば国際音楽祭の目玉として、筑波山を借景とした里のロケーションのもとで、野外オペラとして実現を切望する一人である。個人的主観も入った筑波感であるが、こうした風土的な要素と研究学園都市という際立って理性的な要素とのコントラストが、つくば観光の固有性を象徴させうる地域の資源である。
文化観光のメッカとしての要素は十分そろった。あとは郷土愛に満ちたプロデューサーの育成が期待される。

平成13年8月31日



(JA桜組合長宛)
JA桜・南支所石組み造り倉庫の保全方について

 昭和38年の「研究学園都市建設」の閣議決定以来40年の月日が流れ、その間当地の地域環境は激変を見てまいりました。それより前、昭和25年に映像製作された「新しき村」では当地は豊かな文化的農村社会として紹介されておりました。国家プロジェクトによる「筑波研究学園都市」の建設は、新都市建設では近代以降類をみない規模のもので都市開発史における記念碑的事業であります。しかし、昭和30年代の開発思想からは地域史の系譜は読み取れるものがなく、事実、公共における遺産的価値を継承するものの中で、建造物に至ってはそのほとんどが消滅しています。
 そうした中、地域の農産業を維持してきた農業協同組合組織は準公共的機関ともとれ、中でも「米」を中心とした農業構造の繁栄の足跡として「石組倉庫」は今後、学園都市建設以前の地域史を語る遺産的価値が高まるものと確信されます。
 ついては、現状が良好な南支所倉庫について、保全を念頭においた利用高度化を方針化されますよう提言いたします。
 
平成13年8月10日